京都『伏見稲荷 薬力さん』薬力亭の主人に会いに、自転車で出かけた。

『北口山スキー研究所』って、ご存知ですか?昭和25年に北口禮吉さんが始められた山とスキーの専門店だった。残念ながら平成20年の春に、58年の歴史にピリオドを打った。昭和25年と言えば、私の生まれる1年前になる.



 

 

 

 

 

 

 

この挨拶状を受け取った方は、きっと大勢おられたことと思う。それだけ歴史が長く、多くの方に愛されたお店だった。このお店で、学生の時スキーのビンディングの取り付けや接客のアルバイトをしていた。ビンディングを取り付け終わって板を並べたら、ビンディングの位置がやけにテール側に寄っている。再度測ってみたら、取り付け位置が後ろに10cm違っていた。この手の失敗は、今でも木工でやらかしている。完全に私の測り間違いで専務さんには睨まれたけれど、創業者の山口社長はそんな時でもニコニコと我々アルバイトを見守っていてくれた。閉店当時すでにご病気入院中だったので、もうお亡くなりになっているかもしれないなあ。専務さんも閉店よりもだいぶ前に亡くなられ、お別れ会があった。閉店の少し前に店を訪れて、実務を色々と教えていただいた木村嘉宏さんにお会いした。この方、伏見稲荷山『薬力亭』のご主人で、この記事の主人公です。

ようやく自転車の話になります。

今回の目的は、

  •  車の多い国道171号線を避けて、西国街道で京都まで行く。
  •  薬力亭まで、自転車で行く。
  •  薬力亭の主人に会う。
だったけれど・・・・・。

家をいつもの時間に出発した。11月ともなれば、日の出がずいぶんと遅くなる。千里川に沿って北上し、新御堂筋の白島から東に向かった。高槻の駅の裏を通って、府道67号線を京都に向かったけれど、とにかく道が分かりにくい。方向音痴の気がある私は、地図を見たり人に尋ねる事を繰り返してばかりで、ちっとも距離が伸びない。ようやく久世橋まで来て、気が付いた。久世橋は国道171号線、まあここだけは仕方がないか・・・。そのまま東へ向かって、国道1号線国道24号線を突っ切って伏見稲荷付近に到着。もう9時をとうに回ってしまった。伏見稲荷大社からは多分自転車は入れないので、南から攻める事にした。立命館中・高等学校の方から入って、綺麗に整備された竹林の中の道を進んで行った。白菊の滝あたりから階段が増えてきた。



 

 

 

 

 

 

どうもちゃんとした地図を持っていなかったので、道がよく分からない。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

押したり担いだりしてここまでやってきたけれど、この先が読めなくて自転車を置いて偵察に向かった。この先も延々と階段が続き、踏み幅が狭く蹴上が大きくなり、これはちょっと自転車向きではないことが分かった。踏み外すと、自転車を抱えて谷底に落ちてしまいそうだ。登山者の邪魔になってもいけないので、白菊の滝の車が入れるところまで引き返して、自転車をデポした。片方のバックに所帯道具を詰めて、サイクリストからアルピニストに変身した.



 

 

 

 

 

 

 

 

 

白菊の滝です。帰りがけにちょっと拝んでゆきましょう。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

その先道が何か所も分岐していて、行き先もはっきりとわからなかったけれど、まだ午前中だし迷っても何とかなるだろうと進んでいたら、ようやく薬力社の文字が目に入ってほっとした。これでようやく『稲荷山御山めぐり』のコースに入った。結構人が行き来していて、ほっと安心。外国人観光客も、結構歩いている。挨拶したら、日本語で『コンニチハ』と返してくれる。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな階段を延々と降りたところに、薬力さんが祭ってある。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが薬力さんです。薬の神様で、無病息災をお願いしましょう。自転車で転びませんように・・・・。



 

 

 

 

 

 

 

ようやく到着、薬力さんの前にあるのが薬力亭です。このお店、『御神鐉販売』『奉納鳥居取扱所』、よく分からないんだけど、『お休処』これは分かります。



 

 

 

 

 

 

 

木村さんの奥様と、若奥さんです。ところが木村さん本人がおられない。今日はなんだか、昔の北口山スキー研究所のお客さんと深草トレイルで、山を案内しているとか・・・。どういうこっちゃ、まあしょうがないか、何の連絡もせずにいきなり行ったんだから・・・



 

 

 

 

 

 

 

 

 

この絵、なかなか素敵でしょ!なんと、若奥さんの作品だとか・・・。一目見て気に入ったので絵葉書を早速買い求めて、



 

 

 

 

 

 

 

 

 

絵の中にあるゆで卵(薬力亭の名物)の本物を、土産に買って帰った。色々と楽しいお話をして、又必ず立ち寄ることを約束しました。次回の為に、すぐ近くまで自転車で来られる裏道を教えていただいた。今回のように南から入るんじゃなくて、北の東福寺から伸びる沢を登ってくれば、すぐこの近くまで来られるとか。次回はこのコースにしましょう。



 

 

 

 

 

 

 

来た道を引き返したはずなのに、何故か景色が違う。行きは写真の右の石段を上ったのに、帰りは左の石段から下りてきた。この山、どうなってるのかよく分からない。友達のヤスベーに話したら、『きっと狐に騙されたんだとちゃいます・・・?』、なるほど確かに山は狐だらけだった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

白菊の滝で、記念撮影。自転車はもう少し下にある.



 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが白菊の滝です。この山は、あちこち滝だらけだ。滝と言っても、ここは湧水を集めて、樋から水が落ちてくる。どこかに本物の滝があるのかな?狐に騙されてもいけないので、もう降りましょう。



 

 

 

 

 

 

 

JR伏見稲荷の駅の真ん前に、伏見稲荷大社がある。せっかくだから、少しだけ寄り道をした。自転車を降りて押して奥へ進もうとしたら、後ろから警備員さんが『自転車は駐輪場においてくださ~ぃ!』 『は~ぃ』と返事をしてから、さらにうろうろしてた。



 

 

 

 

 

 

 

本殿の前には、大きな舞台がある。こんなに立派ではなかったけれど、確か信楽の神社の境内にも、同じように舞台があったなあ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

本殿の両脇には、立派なお狐様が睨みを利かせています。

帰路、久世橋を渡ったところで楽して国道171号線をそのまま通って帰ろうかと思ったけれど、いやいや今回は西国街道の旅だと思い留まり、府道67号線を通って帰ることにした。サントリー山崎工場を右手に見て更に下る。同じ道を帰っているはずが、気が付いたら大きな道に出た。上牧と書いてあるので近くのおばちゃんに聞いたら『国道171号線よ・・・』、あわてて引き返して、再び府道67号線に戻った。

高槻も過ぎて茨木も過ぎて気が弛んだのか、また道を間違って豊川あたりでまた国道171号線に出てしまった。もう戻る気力も萎え、そのまま171号線から箕面街道を南進して、銀輪亭まで走った。今日はここがゴールだ。銀輪亭の出口さんの仕事の邪魔をしながら、1時間ばかりおしゃべりを楽しんでから、我が家に戻った。結局残念ながら、今回の3つの目的はどれもこれも達成できずじまいのサイクリングとなった。

良かった点:府道67号線は、高槻を過ぎたあたりから車も少なくなり、快適なコースだった。木村さんの奥さんと、若奥さんにお会いできた。伏見稲荷は、楽しいところだということが分かった。

反省点:3つ全て、目標が達成できなかった。

走行距離:95.67km(今回はちょっと短めのサイクリングとなった。)

平均速度:20.9km/h(やっぱり国道を飛ばした方が、平均速度は稼げるなぁ~)

最高速度:47.6km/h

走行時間:4時間34分(なんとなく不完全燃焼のサイクリングでした。)

走行距離にしては、長いサイクリング旅日記を最後まで読んでいただいた皆様に、『無病息災』をプレゼントします.



 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上!

 

コメント / トラックバック 2 件

  1. カズおっさん より:

    楽しいサイクリングのご報告ですね。北口山スキー研究所よく知っています。
    私、実は45年前には大阪に住みながらプロスキーヤーを目指していました。
    その当時大阪で本格的なプロショップは、北口山スキー研究所・ロッジ・好日山荘・白馬堂しかありませんでした。
    HEAD360の板がほしくて買えなく、コニーという板で競技大会に参加していました。
    その後、関西では、それなりの成績でしたが、全国大会(インカレ等)では、60位の成績しか出せないことを悟り、基礎スキーのデモ選手権に出ていました。
    今でも夢の中でポールに足をとられて転倒する夢を見ます。
     ただし、60歳まで草レースに出て、地方大会では、それなりの成績を出しましたが、オールドシニアはもう参加選手が少なくなり、最後は2人程度での戦いで、負けても2位なんてことでしたが。
    懐かしい思い出です。

  2. 坂本照夫 より:

    こんにちは、北口山スキー研究所はよく知っています。仕事の関係で裁判所へ行くことが多く、そのたびに寄っていました。山が好きで八ヶ岳や南アルプスに登っていましたが、給料が安く指をくわえて山道具を眺めながら帰ったことを思い出します。お店を閉じられたことは残念でした。

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